2005年12月31日

 給水所附近にあるような

脚高の板棧道にひろ子のほか数人の旅客が、次の下りを待っていた。目の前に幾台も汽罐車がひっくりかえっていた。車輪を空へ向けてすっかり腹を見せているのや、なぎ倒されたまま顛覆しているのや、焼け爛(ただ)れてとけた鉄骨だけのこった貨車、客車が散乱していた。一台の自動車がふっとばされて来て、妙なごたごたの間に逆立ちして突こんだまま、そこで焦げ、エナメルがむけて錆びはじめている。
 雨は小やみとなった。濡れるとも云えない軽い雨脚が、リュックにかかった。その板棧道には列車が停る側にきちんと一定の間隔をおいて、何ヵ所にも人糞が落ちていた。掃除もされず、そのまま雨に半ばとけかかっている。
 西へ、西へと来て一夜あけたとき、ひろ子の周囲にあらわれた光景のすべては仮借ないものであった。

        七

 篠笹の藪と、すこしはなれた高くない山並の間の小駅で降りて、ひろ子は、駅前のひろ場へ出た。
 右手に見なれた貨物置場がある。ダラダラと下ったところに往還が通っていて、向う角の消防ポンプ置場も、つき当りの呉服屋も、もとのままある。ひろ子は、安堵と一緒に哀愁を感じた。この前、ひろ子がこの小さい村の町に来たのは、直次に二度目の召集が来たときであった。ひろ子が駅から歩いてゆくと、ポンプ置場の前に一台、ベルの吊られた赤塗手押ポンプがひき出されていて、屈強な若い男たちがそのまわりにかたまっていた。その中に直次がいた。ひろ子を見つけて黙って笑いながらよって来た。今、そのポンプ置場のあたりも森閑として、人影もない。
 ひろ子は、人通りのない狭い往還を北に向って歩み出した。半分ガラス戸のしまった理髪店。雑貨屋。精米所。商売をしていない菓子店。旅人宿。そういう店々が両側に一並び軒を連ねている。ひろ子は人通りこそ一人もないが、見えないどこかからか、往還を歩いてゆく自分の紺絣のもんぺ、さきの丸まっちい女学生靴、リュックに目じるしの赤ビロードの布はしが結びつけてあるのまで、すっかり見られていることを感じながら歩いて行った。
 ほんの三四丁で、この往還は出はずれる。そのすこし手前に、重吉の家の土蔵が見えはじめた。土蔵の白壁がすこしはげ落ちている。
渋谷風俗
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2005年12月29日

ひろ子は間誤ついてききかえした

三本松で三時間も不時停車した列車は、ついたときに、七時すぎてしまっている。もう出てしまった列車を教えられるという意地わるさが想像されなかったので、ひろ子は、いぶかしそうに、
「六時四十分て――午前?」ときいた。
「六時って云えば、午前だぐらい、ばかでもわかるだろう!」
 たった十四五のその少年駅手は左腕がなかった。青服の子供らしく短い片袖が尖った肩から垂直にたれている。片腕のない少年駅手は両脚をはだけて段の上に突立ち、何もかも無くなっている駅で戸惑いながら、ひろ子のように間のぬけた質問をする旅客の一人一人に、復讐的な鋭い悪意の輝いた嘲弄で応酬しているのであった。
 壊滅しつくしている市街と駅。そして小さい鬼のような少年駅手。ひろ子は、次の汽車までそこに居たたまれない気がした。また雨の中を馳けて、まだ停っている急行へよじのぼった。
「なあんだ、又のるのかね」
「ええ、岩国まで。――お願いします」

 岩国駅で下りて、ひろ子は山裾の方を眺めた。幾条もの線路越しの彼方に遠く生木でこしらえた小屋が一つ見え、そのあたりに駅員の姿がまばらに動いている。ふりかえって、ひろ子は海岸を眺めた。きらめく瀬戸内海の碧さに向って巨大に建て連っていたもとの人絹工場、後の飛行機工場の白い建物や、陸軍燃料廠の棟々は、どこにも見えなかった。地面に大小無数の凸凹穴と、ねじ曲りへし曲げられた鉄骨屑の乱雑な堆積がそこにあった。でこぼこ穴には不潔なたまり水が腐っている。
熊本風俗
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2005年12月28日

途端にガタンとひどい

揺れかたをして汽車がすこし動き出した。幾つもの声があわてて、早く乗れ、という意味だろう、朝鮮語でわめいた。とびついて、その男がのりこむと一緒に、汽車は又ゆすぶれて止って、もう動かなくなった。まわりのものが笑った。
 そのとき、隣の車室の薄ぐらい陽気な混雑の中から、少女の澄みとおった一つの声が、突然アリランの歌をうたい出した。

アリラーン
アリラーン
アリラーン    越えてゆく…………

 メロディーをゆったりと、そのメロディーにつれて体のゆれているのも目に浮ぶような我を忘れてうちこんだ声の調子でうたい出した。それにかかわりなく男女の話声は沸騰していて、間に年よりらしい咳や笑声が交る。
 うたでしかあらわされない気持のいい、よろこびの心が、暗くて臭い車内から舞い立っているように少女はアリラーンをうたっている。ひろ子は、しんを傾けてその歌をきいた。ひろ子の見ひらかれた瞳に、まだ動かない列車沿いの堤に生えている松が映った。雨の暁方の鈍い鉛色の外気の中で、松の葉が、漸く黒くほそく見わけられた。

 雨の中を、ひろ子は小走りに地下道へ馳けこんだ。広島駅でいくらか元の形をとどめてのこっているのは、その地下道だけであった。一望の焦土というのは形容ではなかった。もうそこは、ひろ子が知っていた広島市でもなければ広島駅でもなかった。駅長事務室が、引込線の貨車の中に出来ていた。なまなましい傷の上に、生活が再建されようとしているのである。駅の見当さえつかなくなって、リュックを背負ったひろ子は地下道の右側の段に突立っている少年駅手にきいた。
「これから岩国へ行く汽車は何時に出るんでしょう」
「六時四十分!」
「六時四十分?」
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2005年12月26日

「三本松じゃ、

汽罐車がうしろへもう一台つくんだ。いつもそうだよ」
 列車は、松の生えた低い堤の前にとまっていた。土堤(どて)の下草が繁っている。しめっぽい小雨の中へ、二三人男がとび下りて行って小便をした。
 列車は、いつになっても動き出す様子がない。ひろ子は肩からリュックをおろして、窮屈な足もとにおいた。白絹も荷物をおろした。
 そして時計を出して見た。
「これじゃ仕様がない、もう二時間もおくれちまった」
 それに答えるものがなかった。ひろ子に半分、自分の荷物に半分、もたれかかるようにして、こわい真直な髪を真中からわけた朝鮮の若者が立ったまま眠っている。そのうしろに丸まって、腕に顔を伏せている若者も朝鮮人であった。次の車室からそこまで溢れ出している旅客は殆どみんな朝鮮の人たちである。
 となりの車室も、電燈がついていず、外界が、ぼんやり白みかけて来ているので一層車内にこもる夜の暗さが濃く深く思える。しかし、その暑苦しい暗闇の中はひどく賑やかであった。
 愉快そうに入りまじった男や女の高声がしていて、どの声も喉音や吃音のまじった朝鮮の言葉でしゃべっている。一切の世帯道具をもって、今や独立しようとしている故郷の朝鮮へ引あげてゆく人たちの群である。
 こっちの車室は、一様にくたびれ、眠たく朦朧(もうろう)の中に陰気にしずまりかえっている。二輌の車のつぎめに立っているひろ子に、そのちがいは、いかにもきわだって、体の両側から感じられた。朝鮮までの旅と云えば、まだまだ先が長い。気をせくことはいらない。そうにちがいないけれども、その暗闇のうちに充満している陽気さには、何とも云えないのびのび充実した生活の気分があった。この人々は、絶えず何かを食べ、絶えずしゃべり、夜なかじゅうそうして旅行して来ている横溢が感じられるのであった。つよくこころをひきつけられて、ひろ子は精力的な、乱雑ながやがやに耳を傾けた。
 薄くらがりでじっと動かないひろ子を居睡りしているものと思って、白絹が声をかけた。
「あぶないですよ、眠られると――」
「ありがとう。――大丈夫です」
 白絹が行こうとしている村は芸備沿線にあった。そこに弟の家族が住んでいた。娘のようにしている姪も二人いるのであった。
「私もまあ、運がいい方と見えてこれでどうやら無事に一段落だから、一つ弟んところへ行って少し金でもわけてやろうかと思ったりしましてね」
「本当にね、戦さで儲かったお金には、人の命がかかっているんですものね」
 ひろ子も率直なもの云いをした。
「全く、ばかみたいなもんでしたなあ、私なんか、ちょいとした工場をやっていただけなんですが、それで一年も経たないうちに、小三十万儲けたんだから。――ばかみたいなもんでした」
 白絹はちっとも皮肉でなくそうくりかえした。
 ひろ子の前にいた、これも朝鮮の男が、そのときこわばった胸をひらくように反らして、外を見上げ、ひょいと線路わきの砂利の上へおりた。
沖縄風俗
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2005年12月25日

重吉の母の登代が暮している町は、

瀬戸内海に沿って、もとは山陽線本線がずっと迂回して通っていた場所にあった。現在の本線は、その北を直線に徳山市へのびている。
 東京駅の案内所でしらべたとき、下関行急行は朝の四時すぎ岩国へつく筈であった。そこで、支線にのりかえるのが順序と教えられた。
 これまで幾度かその田舎の町へ来たとき、ひろ子は、広島でのりかえるのが習慣であった。待合所の食堂でたべた牡蠣(かき)の香ばしさも、名産レモンの黄色いすがすがしさも忘れていない。しかも、直次の三十四歳の生涯は広島で終らせられた。せまい町筋に大通りが多い広島市街の光景と、海に注ぎ入る河に架っている橋々も目にのこっている。
 窓ガラスも電燈もない真暗な汽車の中で、眠ったりさめたりしているうちに、ひろ子は広島でのりかえて見たい気になった。
 白絹も、広島でのりつぐのであった。
「どうです、あなたも降りられるんなら、そろそろ出ていましょうか」
 通路に寝ひろがっている人々をまたぎ、膝をついてやっと大荷物の上を越し、リュックを背につけたひろ子は出入口のドアのところまで辿りついた。洗面所の中にも、接続板の上にも、ステップにさえ外向きに腰かけて、荷物と人が、女まじりに立ったり、しゃがんだりしてうとうとしているのであった。
 夜が白みかけていた。雨降りで、濡れた灰色の外光の中に、つい近くを松林や草堤がぼんやり眠たげにすぎてゆく。
 雨は長降りになりそうな降り工合である。
 いくらか上り勾配にかかった様子で列車の速力が落ちた。そのうちスーと停ってしまった。
「妙なところで止るじゃないか」
 白絹が不安そうに顔を動かして云った。
「広島まで、もう何分ぐらいですかな」
「まだよっぽどだアな。三本松にかかったばかりだから――一時間の余あらあ」
「早く出て来すぎたかな、こりゃあ」
 がくん、と汽車は動き出した。徐行して、そろそろ普通の速力を出すかと思う時分、つよい排気の音をたてて又ズルズルそのまま止ってしまった。
「どうしたんだ、故障か。いい加減にしろよ」
 白縮のシャツの上から腹巻をした、三十がらみの男が戦闘帽を後へずらしてかぶった頭をつき出して、線路の前方を眺めた。
岡山風俗
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2005年12月24日

質問は「教・総」にとっても思いがけなかったらしく

意外そうな顔をもたげたが、暫くして武骨に答えた。
「われわれは飽くまで国体護持に終始する」
 片脚の人は、「は」というような言葉で挨拶して、それなり黙りこんでしまった。それは片脚の人にとってほしい答えでなかったことは明かであった。そうかと云って、信念として、しかも「われわれ」の信念としてそう云われた言葉を、片脚の人は、どう押し返すことが出来たろう。同じ歴史の頁の上に顔を見合わせながら、互に扶けるどんな力もなくなったものとして、二人の間にはそれぎり言葉が途絶えた。
 全く黙りこんでしまった片脚の人は、いよいよ家族に遭う時が迫れば迫るほど、不安が胸にこみあげて来た風で、うなだれたままになってしまった。そして京都駅に列車が止ったとき、心配そうにいそがしく出迎の人をプラットフォームの上に求めながら、松葉杖を鳴らして降りて行った。大阪駅へついた。ここで、「教・総」とその若い従卒とが降りた。白絹は、わざわざ車窓から首を出して、焼けのこってはいるが、薄暗いプラットフォームを見ていた。やがてその首をひっこめて座席へ腰をおろしながら、
「大勢迎えに来ていますよ、なかなか大したものらしい。将官級ですナ」
 そして声をおとし、
「大部責任の重い地位らしくて、自決の決意を洩して居られました」
 白絹が、その軍人に対して万事ひかえめに応対していたこころもちの原因が、わかった。
「さて、ここまではいいとして、これからがことですよ、山陽線は実にひどうござんすからね、先ずおくれずに行くことはないんだから」
 ズボンのポケットから時計を出し、ゆっくり見てから、どこやら解放されたという表情で、大きく、のびのびと伸びをした。
 ひろ子の乗っている車室は電燈の故障で、大阪駅を出てからは、真暗闇のまま疾走した。
 折々通過する小駅の灯かげが暗い車内にサッとさしこむとき、混雑した荷物のでこぼこや人影が黒く浮き上った。わきの窓はこわれていてガラスがなかった。

千葉風俗
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2005年12月23日

と云った。

「愛情は変通自在なんですもの、本当にどうにだってなるんですもの」
 愛するということにきまった形しかないものなら、重吉とひろ子とは、どうやって十二年の間、夫婦のゆきかいを保って来られただろう。ひろ子はこの不幸な人の弱気を、うしろから押すようなこころもちでそう思った。二人の幼い息子をのこして義弟の直次に戦死された若いつや子は、形の上で断絶された愛を、これからどうやってもち越していったらいいのだろう。戦争にひき出され不具にまでされた上、愛する確信さえ失うとしたら、人の一生として、きりこまざかれかたがひどすぎる。剛毅を。剛毅を。ひろ子は、それが湧き出ずる清水ならば手にすくって、その人の口から注ぎこみたいように感じた。
 もう小一時間で京都に着くというとき、片脚の人は、ふと改った口調になって、向い側の「教・総」に云った。
「自分は、京都で下車いたしますが、一つ何か、記念になるお言葉を頂きたいと思います」
 腕組みをしていた「教・総」はそう云われた途端、ほんのりとその顔を赧らめた。それは、能面になっているときの顔とはまるでちがって、好人物らしい、はにかんだ表情があった。
「自重して暮して下さい」
 考えながらおだやかに、そう云った。
「そして、勉強する。む、勉強する。何より勉強が大切だ」
「ありがとうございます」
 列車はその時小さい丘の裾をめぐって走っていた。列車のまきおこす突風で、野草がゆられ、萩の花がなびくのが見えた。
 やがて又、片脚の人が言をついだ。
「どういうもんでしょう。こういう情勢になりましたから国体論というような本は、みんな、かくしておかなけりゃいけないもんでしょうか」
 ひろ子は、駭(おどろ)きをもって、その質問をきいた。
 あのときはああいう本をかくし、今は又こういう本をかくす、という風にすぐ気がまわるほど日本人を卑屈にしたのは、何ものであるのだろう。
人妻風俗
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2005年12月22日

ひろ子をかえりみて

「この節の電報は二日じゃあぶないでしょう」ときいた。
「よっぽど工合がよくないとね」
 東北の町から、鮎沢のうちへ打った電報は、ひろ子が到着して、次の日まで逗留している間にさえ配達されなかった。
「弱ったな。荷物さえなけりゃ何とかなるんだが」
 網棚の上の大きい義足の木箱を見上げた。
「お降りになるとき位、みんながお手つだいしますよ。駅のひとだって放っておかないんだし。――荷物は一時あずけにして、あとからとりに来ておもらいになれば」
「どうもすみません。じゃ、そうでもするか」
 頭へ一寸手をやって、神経質に笑った。
「何しろ、はじめて社会へ出たもんで――これで病院にいた間は、同じような野郎ばっかりですから、何の脚一本ぐらいっていうわけで、物凄い景気なんですが……どうも」
 すこし落付きをとり戻したように、煙草に火をつけた。
「段々案外の不自由が出て来るもんでしてね。私には五つになる坊主があるんですが、片脚ちょんぎられた体では、もうその坊主を立って抱いてやるということが出来ないんです」
 小さい息子に対して、自分のやりたい方法で可愛さが表現出来ないことを悲しんでいるこの片脚の人の言葉のかげに、ひろ子は、一層微妙に、妻への様々の思いが湧いていることを察した。ひろ子は、心からのはげましをこめて云った。
「お子さんは、坐ったまんまだって、高い高い、でもして上げれば、それこそ有頂天よ。お母さんでは、もう五つの坊やは、高い高い、出来ないんですもの」
 すこし間をおいて、重ねて、
「ほんとに、御心配なさらないことです」
新潟風俗
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2005年12月21日

「奥さんに対してなおってもね

ひがむことは禁物です。あなたがそれに負けはじめたら、万事休しますよ。奥さんにはもちこたえられなくなります。これも経験ですが」
 それを云うのは、「教・総」ではなくて、荒削の相貌だが眼のなかには精神の動きが見えている白絹である。
 ひろ子は、こまかい紺絣のもんぺ姿で、昔の女学生用編上靴をはいている。ひろ子が、のり巻の握飯をたべ終るころ、白絹と「教・総」とはくつろいで話しあっていた。
「満州では、何の御事業でした? 軍関係ですか」
「そうです。が、なあにほんのちょいとしたことでして――」
 しかし共通な知り合いの軍人の噂が出ると、
「ふーむ。あれをお知りですか、そうでしたか」
 おのずから、自分が満州でもっていた環境を「教・総」にさとらせてゆく。白絹はそういう会話のこつを心得ていた。
「教・総」は、やがて日本皇太子史論という小冊子をとりあげた。が、実際に読んでいる間はごく短かった。視線はじき頁から離れ、上向き加減にもたげられた二分刈頭、閉じられた瞼。その卵型茶色の小心律気な老年に近い顔には、能面のように凝固した表情があらわれた。唇は、その能面の上におかれた一本の短い色のさめた糸のきれはしのようになった。内心に一つの渦があって、外界の刺戟がゆるむと、忽ち全存在がその渦巻の中心へと吸いよせられる。そういう気配が感じられた。そしてその能面の表情には、微塵(みじん)も明日の閃きが感じられなかった。
 名古屋を過ると、通路まで汗と塵にまみれた復員者とその荷物で溢れて来た。
 はじめ元気に冗談も云っていた片脚の傷痍軍人は、列車が次第に目的地へ近づくにつれて何となし沈みがちに落付きを失って来た。京都に妻子が疎開していた。二年ぶりで帰る体を先ずそこに休めようという計画なのであった。
「電報がうまくついていればいいんだが――」
すすきの風俗
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2005年12月18日

ひろ子の隣りに白い病衣をつけた

傷痍軍人がのり合わせた。左脚が、太腿から切断されていた。下賜の義足が入っているという大きな木箱を、日傭人足のような男がかついで乗りこんだ。離ればなれに、病衣の人が三四人のりこんだが、看護婦も看護卒もついて来ていなかった。まだ自分の不自由さに馴れないそのひとは、自分が一つよろける毎に、や、すみません、と口に出した。この人は干パンを弁当として食べている。
 この傷痍軍人と「教・総」とは真向いであった。京大の農学部を卒業して、九州の鉱山統制会社に勤めているという壮年の片脚を失った人は、パンをかじりながら、快活に北支で負傷した当時のことや、陸軍病院一ヵ年半の生活、終戦以後の滅茶滅茶ぶりを話した。
「看護兵なんか、何も知っちゃいないんです。だから自分たちは、オイ、ヨーチン、ヨーチンてってからかったもんです」
 そう云って笑いながら、ワールド・カーレント・ニュースという英字雑誌の巻いたので丈夫な方の腿をたたいた。
「いや、どうか自信をもって生きて下さい。脚の片方ぐらいなくたって、人間は幸福になれるんだという信念で、明るく生きて下さい。決して卑下するんじゃありません。わたしもこの年までいろいろな経験をして来たが、これだけはお願いしておきます」
 そう、白絹のシャツが改って云った。
北陸風俗
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